紺と赤のストライプ、96年まで松電の塗装と言えばそれでした。
ハイランドカラーが登場してからもしばらくは、紺と赤のバス「赤バス」は安曇野の主として君臨していました。
このコーナーでは、忘れられつつある「赤バス」を思い出す、と言う趣旨で赤バスの画像をそろえてみました。
画像のほとんどが松本営業所の休憩室に落ちてたアルバムから無断借用してまいりました。
これは私が撮った写真だ、と仰る方はご一報いただけると幸いです。
昔の赤バスホームページの表紙画像第1号はこの画像でした。
赤バスが消える96年の夏バイトの時に、バイト連中で方向幕を廻して撮った1枚です。
末期まで赤バスの原型を保っていた457号。
お盆頃、信濃毎日新聞に記事が出た時の写真がこの457号、前でのサボが「松本電鉄」になっているのは
やらせで、信毎のためにやってました。
普段は「後のり後ばらい」裏返すと無地のサボでした。貸切だと外すんですがね。
ホイール間広告車両も数多くいました。日本テレコムの465号。
そして我等がBU10Kの運転席。
「兄は今年はじめてけぇー」そんな会話が交わされていました。
こちらは車掌の先輩から頂いた画像。73年式のBU10、市内線用362号。
日除けがスライドのカーテンで、運賃表示が三角板だったとか。
この時期の車両にビデオカー、運賃表示、停留所案内がビデオだった車がいたそうです。
休憩室で拾った画像から。ふそうのMRでしょうか?市内線用の車で345号。
けっこう最近(95年?)ぐらいまで在籍していたDBR?
マイクロと称され、アルプス公園線に専属で活躍していました。
「鉄のように重い」クラッチが乗務員を泣かせだったそうです。
休憩室で拾った画像、だいぶ昔のローザです。行灯が貸切チックなので貸切用途だったんでしょうか?
それにしても「松本電鉄BUS」、右サイドだと「BUS鉄電本松」…、昔の塗装は泣かせます。
上のDBRと比べて、同じ赤バスでも年代で若干塗り分けが変わるのをお分かりいただけますでしょうか?
休憩室で拾った画像より、R3の大群。しかも「MATSU DEN」です。
奥の方には赤バス塗装のR3もいたりで時代を感じます。それにしても、どれもカーブドガラスなのはどうかと…。
いまでは素知らぬ顔してハイランドカラーのパンダエアロですが、登場当初は「MATSU DEN」だったんですね。
同期のグランデッカ(910代)も「MATSU DEN」で登場してます。
※すーぱーほくと様ご提供※
戦後のバス不足を補う為に、米軍の水陸両用アンヒビアンを改良した…
訳ではなく、散水車です。
94年夏まで横田線の南浅間付近が松電軌道線跡を使ったバス専用道で未舗装だった為、
舞いあがる砂煙を軽減する為に走らせていたそうです。
私が来た前の年に専用道が舗装され、共用化されてしまったため私自身この車を生で
見たことは有りません。
画像提供くださったほくと様に感謝します。